2015年2月23日月曜日

2014冬~2015春・消える列車・消える景色 Part.4 "再び消える「妙高号」”

皆様こんばんは。専修大学鉄道研究会です。

今回は「2014冬~2015春・消える列車・消える景色」の第4弾として、「妙高」と言う名前が付けられた列車と信越本線長野~直江津間について取り上げます。

担当は前会長です。よろしくお願い致します。

第3弾でも触れた通り、今年3月14日のJRグループのダイヤ改正では北陸新幹線の長野~金沢間の開業が予定されております。北越急行の開業で「はくたか」が特急列車の名称として復活する以前に上越新幹線の連絡特急の名称として使用されていた「かがやき」が最速達種別として帰って来る一方、その並行在来線の1つとして第3セクターのしなの鉄道とえちごトキめき鉄道に移管される信越本線の長野~直江津間を走る快速・普通列車「妙高」が廃止される事になっております。

1.信越本線長野~直江津間と今走る「妙高」について簡単に

この区間は、国の手によって直江津駅の側から建設が進められました。まず1886(明治19)年に関山駅まで開通し、長野駅まで伸びたのは2年後の1888(明治21)年の5月1日の事でした。この関山~長野間の開通をもって、長野県内に初めて鉄道路線が渡来した事にもなりました。その後約120年に渡って、長期の不通を強いる災害や路線の付け替えそして電化を経つつも、(その前身組織を含めて)国鉄やJR東日本の管轄に置かれて来ましたが、この3月でしなの鉄道とえちごトキめき鉄道に移管される事になりました。
現在この区間には、主に115系を使用する普通列車などの他に、「妙高」と言う名前の快速・普通列車が運転されています。「妙高」は現在3往復が設定されており、朝の上り「2号」を除いて普通列車となっています。「2号」は快速運転を行っていますが、通過駅は直江津~妙高高原間の新潟支社管内に絞られています。各列車には長野総合車両センター所属の183・189系が使用されています。各列車では進行方向に向かって一番後ろの車両が指定席車となっています。このように、快速・普通列車ではあるものの、国鉄時代の車両とは言え特急型電車を使用していることから、第3弾でもご紹介した快速「くびき野」と合わせて「乗り得列車」と言われています。

「妙高1号」で直江津駅に到着した長野総合車両センターの189系N102編成の様子。
この編成は全車が189系から成り、なおかつ製造から35年以上経過した現在でも配置先が長野の車両基地から1度も動いていないようだ。
ちなみにN102編成は、最近再塗装が行われ綺麗になったようだ。
2014(平成26)年8月29日 直江津駅にて(以前の「会長の近況」からの再掲ですが…)

少し前の写真であるが、「しなの」の383系と並ぶ長野総合車両センターの183・189系N101編成の様子。
現在この編成は国鉄特急色に塗り替えられている。
2010(平成22)年10月9日 長野駅にて

この「妙高」と言う列車名は、この区間の沿線にある妙高高原または妙高山から採ったと言われています。実はこの「妙高」は、列車の名称としては「はくたか」「かがやき」と同じく、現れては消え、消えては現れ…を繰り返している物の1つです。

2. 「妙高」の歴史―準急・急行列車として―

「妙高」と言う名前の列車が初めて登場したのは1958(昭和33)年4月14日の事で、上野駅と新潟駅を信越本線経由の夜行で結ぶ準急列車として運転されていた物に一般公募で名前を付けた事が始まりのようです。「36.10」(読みは「さんろくとお」)と呼ばれる1961(昭和36)年10月1日のダイヤ改正で直江津止まりになり、昼間の列車が設定されるようになり、翌1962(昭和37)年12月1日のダイヤ改正では昼行列車が気動車(キハ57系)に置き換えられた上で急行列車に格上げされました。その後信越本線の電化の進展により165系に変えられ、「43.10」(読みは「よんさんとお」)と呼ばれる1968(昭和43)年10月1日ダイヤ改正で169系に置き換えられました。夜行列車も昼行列車が急行に格上げされた際に別の名前に変えられたものの、途中で急行列車に格上げされ、最終的に「43.10」の際に「妙高」に名称が戻されました。

1969(昭和44)年10月(?)12日上野発の夜行下り「妙高6号」のA寝台券。
旅客運賃制度が等級制からモノクラス制に変更され、「普通車」「グリーン車」「B寝台車」「A寝台車」と言う用語が生まれて間もない頃のもの。
(S現会長所蔵)

1972(昭和47)年2月22日の上り「妙高2号」の普通車指定席券。(S現会長所蔵)


1973(昭和48)年7月25日の上り「妙高3号」の普通車指定席券。(S現会長所蔵)


少し時代が下った1970年代中頃の信越本線の優等列車は、

  • 上野駅から長野・直江津間を結ぶ「あさま」
  • 金沢駅まで足を延ばす特急「白山」

…と言う特急列車の他にも、

  • 長野駅止まりの急行「信州」
  • 屋代駅から長野電鉄に直通して湯田中駅までを結ぶ急行「志賀」
  • 妙高高原駅または直江津駅まで結ぶ急行「妙高」
  • 夜行で福井駅を目指す急行「越前」
  • 春から夏の多客期に中軽井沢駅まで運転される特急「そよかぜ」・急行「軽井沢」

…と特急列車と急行列車が一定の数に並立していました。上述した通り、今回のテーマである「妙高」はこの頃は長野駅より先の方に行く急行列車と言う意味合いを持っていました。この頃の「妙高」は、先程も書いたように昼間に運転される列車と夜行列車と2つのパターンがあり、昼間の列車は169系を使用し、列車によっては「志賀」を併結し、夜行の列車は旧型客車の各系列を用いていたようです。

169系の例として。2013(平成25)年まで現役であったしなの鉄道所属のもの。
(以前「フジサン特急」を取り上げた際の画像の再掲ですが…)
2013(平成25)年2月3日 戸倉駅にて
 
しかし、1970年代の後半から始まった急行列車を特急列車に格上げして行く施策が信越本線に対しても行われるようになりました。東北新幹線大宮~盛岡間の本格開業と上越新幹線の開業が行われた1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正で、「妙高」は昼間の列車が「志賀」もろとも全廃となり、夜行列車のみとなりました。客車も14系の座席車と寝台車の混結となりサービスアップが図られました。ちなみにこの改正では「越前」も基本的に金沢止まりとなり、それまで上越線経由の急行列車の名称として使用されていた「能登」と言う名前に変わっています。

1985(昭和60)年3月14日のダイヤ改正では東北・上越新幹線が上野駅まで延伸しました。ここで上野から軽井沢まで急行、軽井沢から先は普通列車と言う形で残っていた「信州」が全廃となり、上野駅から長野方面に向かう定期の昼行の急行列車が無くなりました。この際に「妙高」の車両は169系に変更されました。更に国鉄最後のダイヤ改正となった1986(昭和61)年11月1日ダイヤ改正では車両の運用が「あさま」と一体化され、189系に変更された上に、長野止まりとなってしまいました。
国鉄の分割民営化とJR東日本の発足を経て、車両の面から見ていわば「あさま」の夜行版となった「妙高」でしたが、1993(平成5)年3月18日のダイヤ改正で「能登」が14系から「白山」と同じ489系に変更されたのと同時に急行「妙高」は廃止される事になりました。

3. 「妙高」の歴史―快速「信越リレー妙高」→快速・普通「妙高」として―

1997(平成9)年10月1日のダイヤ改正で北陸新幹線の高崎~長野間が長野新幹線(当初は「長野行新幹線」)として開業しました。これにより、信越本線の横川~軽井沢間が廃止され、軽井沢~篠ノ井間は初めて並行在来線としてJR東日本から分離され、第3セクターのしなの鉄道となりました。その結果、「あさま」は新幹線の名称に、「白山」は廃止へ、「能登」は以前の上越線経由に戻る…と言う大きな変化が起こる事になりました。
しかし、このダイヤ改正で、長野~直江津間を結ぶ新幹線連絡の快速列車に「信越リレー妙高」と言う名称が付けられ、臨時列車となっていた「妙高」の名が定期列車として復活する事になりました。車両は新幹線の開業まで「あさま」として使用されていた189系のうち、9両編成であったものを6両編成に短縮したものが使用されました。これは現在に至るまで変わりません。その後、各列車の停車駅が徐々に増加して行き、ほとんどが普通列車になった2002(平成14)年12月1日ダイヤ改正で、名称から「信越リレー」が取れて「妙高」となり、かつてのそのままの名称に戻され現在に至ります。

4.まとめ

このような訳で、「妙高」と言う列車は急行列車であれ普通列車であれ信越本線の長野~直江津間と関わりを持ち続けて来ました。長野~直江津間がこの3月をもって運行・管理がJR東日本から切り離される事で、「妙高」が列車の名前としては再び姿を消す事は何らかの運命を感じずには居られません。
ダイヤ改正以降は、基本的にしなの鉄道とえちごトキめき鉄道の境界駅となる妙高高原駅で乗り換えとなるようですので、長野~直江津間を通しで走る列車も無くなる事になりそうです。
移管まで残り1ヶ月を切りましたが、信越本線を走る「妙高」に一度乗車してみてはいかがでしょうか?

ちなみに、「妙高」に使用されて来た183・189系は、その廃止によって、系列全体から見ても、毎日運転される定期列車から撤退する事になりました。但し、長野配置の編成は、一部がダイヤ改正以降も残存する模様です。これまで通り、豊田車両センターに配置されている編成含め、臨時「あずさ」を始めとした各臨時列車への登板は見られるのか注目されます。

「妙高1号」として始発駅を発車しようとする国鉄特急色に塗り替えられた後のN101編成の様子。同編成は塗り替えられた後はかなりの人気者になったように思える。
N101編成もN102編成に先立って再塗装が行われ、綺麗になったようだ。
2013(平成25)年8月2日 長野駅にて

同じく「妙高1号」として始発駅を発車したN102編成の様子。この光景もいよいよ見納めとなる。
2014(平成26)年3月11日 長野駅にて

おしまいに、指定席券コレクションのスキャン画像を提供してくれた現会長にこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

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2015年2月13日金曜日

2014冬~2015春・消える列車・消える景色 Part.3 "変貌を遂げる越後路の列車たち”

こんにちは、専修大学鉄道研究会です。
「2014冬~2015春・消える列車・消える景色」 今回は新潟出身の「新ナカ」が担当します。

2015年3月14日(土)のダイヤ改正における目玉であろう北陸新幹線長野~金沢間開業。その影で信越本線長野~直江津間・北陸本線直江津~金沢間の第3セクター化、寝台特急「トワイライトエクスプレス」・特急「はくたか」の廃止など、寂しい話題もあります。
と、北陸新幹線関係の話題をあげるとキリが無いのですが… 今回は新潟を発着し、信越本線を走る列車たちにスポットを当ててみましょう。

国鉄特急型の代表である485系を充当する定期の特急列車も、新青森~函館間の「白鳥」とこの「北越」のみとなっている。
(2014年8月28日 北陸本線高岡~西高岡間)
 
~特急「北越」~
新潟~金沢間で1日5往復運転される特急「北越」。JR東日本新潟車両センターに所属する485系が充当されています。
数多くの優等列車が走行してきた日本海縦貫線(大阪~青森間の在来線の総称)においては少々地味な特急列車ですが、その歴史は古く、1969(昭和44)年に新潟~大阪間の臨時特急として登場したのが始まりです。その後1978(昭和53)年に新潟~金沢間に運転区間が変更され、越後と北陸を結ぶ特急として定着しました。
登場以来、他の特急列車を補完する役割を担って来ましたが、2001(平成13)年以降は新潟~金沢間を結ぶ唯一の特急列車となっています。

一貫して「北越」に充当されてきた485系もここ数年で勢力を縮小し、画像の485系1000番台「上沼垂色」も2014年末に消滅している。
(2014年8月28日 北陸本線西高岡駅)

~快速「くびき野」~
新潟~新井間で1日3往復運転される快速「くびき野」。こちらもJR東日本新潟車両センターに所属する485系が充当されています。
「くびき野」の歴史は、新潟・長岡~高田間を走行していた特急「みのり」が2002(平成14)年に同列車へ格下げされたことから始まります。
普通料金で特急型車両に乗れることから人気を博し、2006(平成18)年には4両編成から6両編成に輸送力が増強されるなど、新潟~長岡・柏崎・上越地方への移動手段として定着しています。
上記の上沼垂色が消滅した現在では、「くびき野」にも国鉄特急色もしくは3000番台が充当されている。
(2015年1月27日 信越本線新潟駅)

~快速「らくらくトレイン信越」・「おはよう信越」~
新潟→直江津間で夜運転されるのが快速「らくらくトレイン信越」、直江津→新潟間で朝運転されるのが快速「おはよう信越」です。同じく両列車ともJR東日本新潟車両センターに所属する485系が充当されています。「らくらくトレイン信越」は定員制のライナー列車、「おはよう信越」は全車指定席の快速列車と、上下列車で性格が異なる点が特徴です。
「らくらくトレイン信越」は元々新潟→長岡間運転の快速「らくらくトレイン長岡」として運転されていましたが、2012(平成24)年3月ダイヤ改正の急行「きたぐに」廃止による同列車の代替として列車名の改称、運転区間の延長が実施されました。このダイヤ改正では新潟県内の通勤輸送を確保するため、下り「きたぐに」の直江津→新潟間のダイヤをそのまま引き継ぐ形で快速「おはよう信越」が新設されました。

左:新潟駅1番線で出発を待つ「らくらくトレイン信越」。1号車のみドア扱いをし、乗車時にライナー券のチェックが実施される。
右:6号車は女性専用車となっており、側面表示にもその旨が記されている。
(2枚とも2015年1月23日 信越本線新潟駅)
 
~2015年3月ダイヤ改正での動き~
今回のダイヤ改正では各列車とも大きな変化があります。
「北越」は北陸新幹線開業とそれに伴う北陸本線直江津~金沢間の第3セクター化により廃止され、北陸新幹線への接続特急として新潟~上越妙高・新井間にE653系1100番台を充当した特急「しらゆき」が1日5往復運転されます。また、新幹線とは直接並行しないルートを走行する「くびき野」も廃止され、485系充当の新潟~糸魚川間の快速1往復と115系充当の新潟~新井間の快速2往復に再編されます。
快速「らくらくトレイン信越」・「おはよう信越」は存続するものの、充当車両が485系からE653系1100番台に変更され、グリーン車・女性専用車の設定が終了します。
 
上記のように、このダイヤ改正では485系充当の定期列車が新潟~糸魚川間の快速1往復のみと激減することも特徴です。
新潟地区で40年以上特急列車の主役として活躍した485系も、特急「いなほ」のE653系1000番台置き換えや快速「ムーンライトえちご」の運転取りやめなどで活躍の場が減少、2013年(平成25)9月には6両編成17本+増結用2両が在籍していましたが、現在では6両編成9本(2本は国鉄特急色・7本は3000番台)まで減少しています(ジョイフルトレイン「きらきらうえつ」用の4両編成1本、「NO.DO.KA」用の3両編成1本を除く)。
3月ダイヤ改正後もどの編成がいつまで残存するのかが気になるところです。
 
全国的にも数少なくなった485系が充当されている各列車。人気の国鉄特急色も運用に入るので、ダイヤ改正前に是非乗車・撮影を楽しんではどうでしょうか?
新潟駅から特急列車で北陸を目指せるのもあと1ヶ月ほどに… (2014年8月17日 信越本線新潟駅)
 

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2015年2月3日火曜日

2014冬~2015春・消える列車・消える景色 part.2 "「北斗星」~さよなら1・2レ~"

 こんばんは。会長のSです。寒い日が続きますね。

 先日のダイヤ改正でついに「北斗星」の廃止、臨時列車化が正式に発表されました。当会でも無くなる前に乗っておこうと、いわゆる「10時打ち」に果敢に挑戦し失敗したとの会員からの報告が多数ありました・・・
 今回は「2014冬~2015春・消える列車・消える景色」シリーズ2回目として、「北斗星」について触れたいと思います。
誇らしげに出発を待つ。そういえば、写真は銀縁ですが、金縁のヘッドマークもありましたね。
最近は撮影会用みたいですが。(2013.10.18  上野)

 -北斗星とは―
  寝台特急「北斗星」は昭和63(1988)年3月の青函トンネル開業時に上野―札幌間を結ぶ初の寝台列車として、誕生しました。1人用個室A寝台「ロイヤル」 やフレンチを食べることができる食堂車「グランシャリオ」など、その豪華な設備で人気列車となりました。最盛期では定期列車3往復に臨時列車1往復が設定される活況ぶりでしたが、カシオペアの運転開始や北海道新幹線工事の進展により、 今春ついに廃止・臨時化となります。
 
  夏までは臨時列車として残りますが、8月22日が最終運行とアナウンスされており、約60年続いたブルートレインがついに幕を閉じることになります。
推進回送。上野界隈の風物詩も気づけば「北斗星」「カシオペア」のみに。
(上: 2015.1.  鶯谷 撮影2053100 下:2013.5.24  尾久車両センター―上野)
「グランシャリオ」。クリスマス間際には飾り付けがされ、豪華寝台の旅を彩っていました。(2013.12.12 上野)
2010年7月まで上野―青森間はEF81の牽引でしたが、以降も時々代走で牽引することもありました。
(2014.6.3 赤羽―尾久)
L型マルス発券の「北斗星」寝台券。客車編成は1・2号はJR北海道、
3・4,5・6号はJR東日本の担当で、それぞれ内装が異なりました。

 ―さよなら1・2列車―
   各々の列車には列車番号と云うものが振られているのを皆さんはご存知でしょうか?JRの場合、4桁の数字+アルファベットという国鉄方式のものが使われていて、アルファベットには電車は基本的にM(モーターの意味)気動車はD(ディーゼル)が来ますが、北斗星を始めとした客車や貨車など機関車が引っ張る列車は何もつけず、代わりにレ(列車)を付けることが有ります。列車番号は運行管理などに用いられ、時刻表にも記載されています。
 
  さて、上野発下り「北斗星」には、札幌発上り「北斗星」には2が割り充てられています。1や2はその路線はたまた日本を代表する列車に与えられた栄光の番号と言われることが有ります。戦前では1等・2等車のみを連結した特別急行「富士」(東京―下関)、戦後では特別急行「つばめ」(東京―大阪)や寝台特急「さくら」(東京―長崎)など、日本の鉄道史に燦然と輝く列車に充てられました。「北斗星」も運行開始時から1・2列車でしたが、平成20(2009)年に同じく1・2列車だった最後の東海道ブルートレイン、寝台特急「富士」「はやぶさ」の廃止により、「北斗星」が最後の1・2列車となりました。臨時化後は8007・8008列車となります。   
 
  1M(「スーパーあずさ」1号や「しらさぎ」1号など)や1D(「はまかぜ」1号)と云った列車は当然3月以降も残りますが、明治39(1906)年に設定された最急行(新橋―神戸)以来、100年以上続いた1・2列車は途絶えることになります。
戦中・戦後直後の列車急行券。本来列車を指定する必要が無い急行券ですが、
戦中期は旅行制限などの統制強化の一環で、急行券が列車指定となりました。
終戦時は特急が全廃され、急行は1・2列車(東京―下関)のみでした。
昭和28年7月8日発行の第1列車「つばめ」特別急行券。戦前から昭和30年代前半までは列車名
ではなく、列車番号で書かれています。この当時の「特別急行」は1・2列車の「つばめ」の他、同区間を
午後発車する3・4列車「はと」しかなく、文字通り「特別な」急行列車でした。
※特記以外S撮影・所蔵

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