2014年10月5日日曜日

<東海道新幹線開業50周年記念企画連載>マルス券から見る東海道新幹線③

 こんばんは。Sです。シリーズ3回目となる、マルス券から見る東海道新幹線。今回はW型端末の登場についてご紹介します。

 前回、ようやくX型端末の登場により、マルスを導入出来た東海道新幹線でしたが、一つ問題が残りました。活字棒はそれぞれの列車ごとに用意されていたのですが、東海道新幹線では「ひかり○号」というように同じ列車名でも違う号数の活字棒が大量に出来てしまったのです。ただでさえ、膨大な数の駅用活字棒がある中で、スペースも狭くなり係員も探し出すのにかなり苦労したそうです。そこでX型端末にやや遅れて、W型端末が登場しました。

 W型端末は列車名は端末棒、号数は端末の押ボタンになりました。W型は新幹線向けの端末と言えます。リレー回路のAWS型、電子回路のAWM型が製造されました。リレー回路では接点不良などの故障が多く、電子回路にしたことによって、信頼性の向上と省スペース化を実現しました。

 券はレイアウトがやや変わり、大きさもX型より5mmほど長くなり、98mm×63mmとなりました。
W型券。初期の縦型マルス券は英語表記があるのも特徴だ。
 切符には乗継請求という判子が押されています。これは乗継割引のことで、本州と北海道・四国、新幹線と在来線に乗り継ぐ特急・急行料金を5割引きにする制度で、X型以降の端末では特殊扱いとして、乗継割引のボタンが設置されています。
 乗継割引制度が施工されたのは1965年11月1日のダイヤ改正から。このダイヤ改正では新幹線と山陽本線特急・急行列車の増発が行われ、新大阪からの乗継がしやすくなったのです。新幹線の開通が西日本の交通体系を一変させた証でした。
 なお、この年の10月から、列車指定となっていた「こだま」自由席が列車指定が無くなり、在来線の急行券と同様な扱いになりました。同時に在来線の特急列車にも初めて自由席が導入され、特急列車にとっては画期的な出来事でした。

2014年10月2日木曜日

<東海道新幹線開業50周年記念企画連載>マルス券から見る東海道新幹線②


 こんにちは。Sです。「マルス券から見る東海道新幹線」2回目です。前回はマルス導入前で終わってしまったので、今回からマルス券を紹介していきます。

 座席予約システム「マルス102」は1965(昭和40)年9月23日から稼働しました。マルス端末は当時、端局装置と呼ばれていましたが、X型端末が用意されました。駅では主に一般駅向けのA形と大規模駅向けのB形が使われていました。

 これらの端末装置は活字棒と呼ばれるスタンプを用いて発券していました。この活字棒は溝付きのゴム印です。最初に、希望列車・乗車駅・降車駅の3本を印刷機にセットします。この溝は列車・駅ごとに異なっていて、印刷機はこの溝をデータとして読み取ります。
活字棒。マルススタンプとも呼ばれる。
国立科学博物館に展示されている印刷機(右)。左には活字棒を納めた棚も保存されている。
 その次に入力装置で乗車日・座席種別・人数を設定して、送信ボタンを押します。席が確保できればYESの青ランプ、取れなければNOの赤ランプが点灯し、取れた場合には印刷機から切符が出てくる仕組みでした。
 
国立科学博物館の入力装置。AX型端末と思われる。
  「マルス102」は168列車97000席を収容し、「マルス101」と合わせて、全指定席券の70%を発券できるようになりました。もちろん新幹線も収容され、手書きの硬券から、「特殊指定共通券」、通称マルス券というレシートのような切符になりました。この時期のものは縦型券とも呼ばれます。

X型券。料金隣にワと書いてあるのは乗車券+特急券の意。列車の発駅時刻のみ手書きである。
また、「みどりの窓口」が出来たのもマルス102稼働と同時でした。それまでは指定席も乗車券も一緒の窓口で扱っていてたため混雑しやすく、乗りたかった列車に乗れなかったという批判がありました。そこで、指定席専門の窓口を作ることによって、指定席券を迅速に発券することができるようになったのです。
  


2014年9月30日火曜日

<東海道新幹線開業50周年記念企画連載>マルス券から見る東海道新幹線①

 こんにちは。Sです。ツイッターの方では時々お邪魔させていただきましたが、ブログはこれが初投稿です。どうぞよろしくお願いします。
 さて、明日10月1日で東海道新幹線は開業50周年を迎えます。そこで、数回にわたって私の所蔵している切符から東海道新幹線にまつわる切符をご紹介していきます。
国立科学博物館に保存されているマルス101。人形前の端末、奥がホストコンピュータ

 1964年というと、新幹線開業もそうですが、なんといっても東京オリンピックでしょう。新幹線開業後の10月10日から開催されましたが、実はコンピュータによる記録管理を行った初めての大会で、コンピュータ時代が到来したことを象徴する出来事でした。国鉄でもこの年の2月に座席予約システム「マルス101」を稼働させました。従来、列車の座席は「乗車券センター」というとことで台帳によって管理されていたのですが、発売に時間がかかり、また人による作業のため誤発売も目立っていました。国鉄は1960年に作った「マルス1」を足掛かりに本格的な座席予約システムの構築を目指し、72列車32.000席収容可能な「マルス101」が完成しました。列車の座席管理や切符の発売をコンピュータ化することによって、数十分以上かかっていた指定席がおよそ30秒で発売ができ、国鉄近代化の先陣を切りました。

昭和39(1964)年10月10日発券のB特急券。特急料金は3タイプに分けられ、
B料金は「ひかり」、C料金は「こだま」となりました。A料金は東京―新大阪間
無停車列車に課せられる予定でしたが、列車自体が設定されませんでした。

 国鉄が威信をかけて作った東海道新幹線ですから、列車の座席指定には当然「マルス」が使われたかと思いきや、開業1年間は前時代的な台帳による手発売でした。計画では「マルス」の導入が明記されていますが、開業後の記事にも「マルス」の開発が遅れやむを得ず手発売になった、とあります。、在来線の4列座席を想定して作られていたため、新幹線の5列座席に対応できなかったのです。また、まだコンピュータの信頼性が低かったため「マルス」によって台無しにされては困る、在来線よりも高価な新幹線には「マルス」が必要なほど乗客がいるのか、との意見もあったようです。
 新幹線開業後、在来線に加え新幹線の特急券を求める旅客で駅の窓口は混雑しました。速さがうたい文句の新幹線でしたが、切符の発券スピードはむしろ以前より遅くなり、苦情も殺到しました。中には3時間以上待った旅客もいたようです。「乗車券センター」では駅からの問い合わせが集中し電話回線がパンクするなど処理能力の限界を超えていたのです。そこで、国鉄はマルス101をスペックアップさせた新幹線用「マルス102」の製作を急ぎました。
 
 

2014年9月23日火曜日

夏合宿報告第1弾!~山陰編~

皆様こんばんは、専修大学鉄道研究会です。
専修大学では今日から後期の授業が開始し、部室にも活気が戻ってきました。

さて、ちょうど1ヶ月前は山陰方面への合宿を行っていました。
遅くなりましたが、今回はその山陰合宿の模様を簡単にご報告致します。

まずは「ムーンライトながら」に乗車し大垣を目指しました。大垣からは米原と敦賀で乗り換え、小浜線経由で山陰本線へと向かいました。
この合宿の数日前に福知山付近では大雨によって運転見合わせとなっていましたが、この合宿の際には運転は再開されていました。
福知山~城崎温泉間は特急「こうのとり」でワープしました。287系が多く走っている中で乗車したのは381系でした。新型車両は格好良いですが、この国鉄色の特急というのもなかなかいいものです。
城崎温泉からは再び普通列車で一気に境港へと向かいました。途中、餘部鉄橋は新しい鉄橋に架け替えられましたが、一部は「空の駅」として残っており、旧線の上を歩くことができるようになっていました。
米子からは境線に乗車しました。終点の境港は漫画家の水木しげる氏の生誕地ということで街中には妖怪のブロンズ像があちこちにありました。
折り返し列車の時間の関係で水木しげる記念館までは行けなかったので、また今度行きたいところです。境港を後にした一行は宿のある出雲市へと向かい、長い1日が終わりました。


空の駅として今も一部が残っている餘部鉄橋
境港の駅前には水木しげる氏の執筆風景のブロンド像がある

 
2日目はまずこの合宿のメインともいえる「奥出雲おろち号」に乗車しました。普段は木次から発車しますが 、一部日には出雲市から運転されています。
天候が心配されましたが見事に晴れ、トロッコ列車の旅を満喫しました。窓のないトロッコ車両では草木がとても近くに感じられ、心地よい風を受けながら終点の備後落合を目指しました。
備後落合では我々以外の乗客は折り返しの列車に乗って行ってしまいました。そんな中、備後落合では1日目の「ムーンライトながら」からほぼ同行程という方に出会いました。その方とはこの後倉敷まで同じ列車でした。すごい偶然ですよね~。
備後落合からは新見を経由して倉敷へ向かいました。倉敷から水島臨海鉄道に乗車、往復し岡山にて解散になりました。


出雲市駅から備後落合駅まで乗車した奥出雲おろち号。
写真手前の車両が窓のないトロッコ車両になっている。

今回は簡単な報告になってしまいましたが、この合宿の模様は学園祭の時に発行している会誌にてより詳しく(?)ご報告する予定です。
そちらもぜひご覧くださいませ。

~専修大学鉄道研究会からのお知らせ~
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必要なのは「鉄道旅行に出たい!」「鉄道写真を撮ってみたい!」「鉄道模型走らせたい!」「何でも良いから鉄道に関する話をしたい!」というあなたの気持ちです。
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当鉄道研究会には鉄道に関する知識の浅い・深いを問わず様々な会員が所属しています。
各会員で色々な情報交換をしながら楽しく活動していきましょう!
詳しくはメール[sensyu_train@yahoo.co.jp]しくは第3学生自治会館B1Fの部室04にてお待ちしております(基本的に授業期間中の昼休みは常駐しております)。
         
当鉄道研究会のTwitterも是非ご覧ください。アカウント名は「@senshu_train」です。もしくは
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2014年9月14日日曜日

会長の近況(もう1回名古屋に行ってみた)

皆様こんばんは、専修大学鉄道研究会です。

山陰・北陸・北海道と三手に分かれる夏合宿は、先月下旬の山陰組に続いて、北陸組が昨日全日程を終了し、現在は北海道組が現地に滞在中という状況です。いずれも後日報告が何かしらの形であると思いますのでお楽しみに。

今回は「会長の近況」第3弾をお送りします。
第1弾において、8月20日(水)に東海道線で名古屋に行った、というお話をいたしました。
その際の名古屋滞在時間は2時間余りでした。その中で色々やり残したことがあるように思えたので、もう1回、今度は名古屋近郊を目指して行きました。

そのやり残したこととは、東海道線の笠寺駅と稲沢駅に行くこと、もう1つはJR東海のキハ40系に少しでも乗車することでした。笠寺駅と稲沢駅に行くのは貨車や機関車を見るため、キハ40系に乗るのは、同社のキハ40系の後継車両となるキハ25系1000番台がいよいよ落成したことによるものでした。

実行日は9月5日(金曜日)です。実家最寄駅から、始発の普通列車中津川行きに乗って行動を開始しました。以下の写真は、例によって、特記の無い限り、その日に私が撮影したものです。
中津川まではJR東日本の211系に乗りました。中央西線は現在JR東海の管轄ですが、1日2往復、長野総合車両センターの211系が普通列車として乗り入れます。始発の中津川行きはそのうちの1本に当たります。

中津川からは快速名古屋行きに乗り換えます。乗車した列車はかつて「セントラルライナー」として使用されていた313系8000番台の充当でした。
以前は名古屋~多治見間で別料金を徴収していた列車に使用されていただけあって、他の313系と比べ塗色や内装が異なっているのが特徴です。

数ある313系のバリエーションの中でも最も上級に位置するであろう「セントラルライナー」用に製造された8000番台の様子。
中津川駅にて

名古屋駅に着いた後、ホームを歩いていると、2編成しかないJR東海の211系0番台を見ることが出来ました。
 
JR東海の211系0番台は4両編成が2本だけ、しかも朝夕に、関西線でしか乗れないらしい。
今やJR東海で現役の電車の中で一番古いものになった。
名古屋駅にて
 
その後、前回と同様立ちきしめんを食べました。ただし、違う店で…
名古屋からは東海道本線で少し東の方向へ向かい、笠寺駅に行きました。笠寺に着くと、ちょうど前回も名古屋駅で見かけた石灰石を運ぶ貨物列車が到着していました。
 
かつて青梅・南武線でも見ることの出来た石灰石のホッパ車「赤ホキ」であるが、現在は名古屋地区のみで現役である。
この辺りの「赤ホキ」は粒の細かい石灰石を運ぶことがあるようで、粒が飛散しないようにカバーを付けている車両があるのが特徴である。
 
とは言え、カバーの付いていない車両もいる。これが「赤ホキ」の本来の姿である。
 
「赤ホキ」はほとんどの車両が製造から45年を超えたため、現在世代交代が進んでいる。
これが新しい「赤ホキ」で、今までの車両と形はほとんど変わらないが、より速く走れるらしい。
 
「赤ホキ」が出発して行った後、隠れていたこんな貨車が姿を現した。
これは、2両1組で専用のコンテナを使って片道はその中に乗用車を入れて運び、もう片道は普通のコンテナを専用のコンテナの中に入れて運ぶ、という目的で作った低床構造の貨車である。最近はここにずっと留め置かれているという。
以上4枚すべて笠寺駅にて

笠寺駅を後にして、第2の目的である「キハ40系に乗る」を目指して岐阜駅を目指しました。
途中JR貨物の愛知機関区が見れる稲沢駅に立ち寄りました。色々な機関車が置かれていて見ていてなかなか面白かったです。

ホームから見える位置に国鉄色のDD51がいた。但しこれは休車になっているようだった。
 
DD51は更新色の物もいた。こちらの方は動いているらしい。
 
既に引退したEF64の0番台も残っていた。私の鉄道趣味のルーツの1つは、地元を走るEF64の0番台の貨物列車であった。
見ていると見覚えのある機番があって(当然か?)懐かしく思った。
以上3枚すべて稲沢駅にて

岐阜駅に着いて昼食を食べ、高山本線に入りました。その後の時間帯にちょうど普通列車の飛騨古川行きなるものがあったので、これならキハ40系に乗れるだろう、と思ってホームに上がると、キハ40とキハ48の2両編成の列車が停まっていました。

手前はキハ40系の片開きの扉の両運転台車であるキハ40、奥は片開きの扉の片運転台車であるキハ48になる。
奥のキハ48は、高山本線が台風で寸断された際に不通区間に閉じ込められたことのある車両であった。
岐阜駅にて

途中美濃太田で下車し、太多線で多治見に向かおうとしました。すると、キハ25系1000番台の試運転にたまたま遭遇しました。
 
現在武豊線で使用されている0番台と同様、313系に似ているキハ25系1000番台。
しかし、長らく付けられていた側面のビードが無くなったり、車内がロングシートになっていたりと細かい所で差異が見られる。

しばらく美濃太田駅に留まったのち、太多線の普通列車多治見行きで移動を再開しました。

キハ25の試運転が来る前に撮影した、キハ40系の両開きの扉の片運転台車であるキハ47。これがそのまま多治見行きになった。
以上2枚すべて美濃太田駅にて

多治見に着いた後はそのまま実家に戻らずに、211系の快速列車で一旦名古屋駅に戻った後、実家向けの土産を買った後、前回と同じ列車で帰宅しました。

「会長の近況」第3弾、いかがでしたでしょうか?
次はいつになるか未定ですが、次回もよろしくお願い致します。


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2014年9月9日火曜日

会長の近況(新潟に行ってみた)

皆様こんばんは、専修大学鉄道研究会です。

今回は「会長の近況」第2弾をお送りします。

ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、JR東日本新潟支社では、特に電車の世代交代が活発となっています。
長らく特急列車や快速列車に使われて来た485系がE653系への置き換えで廃車が発生していたり、
長野から115系がやって来て前から新潟に居た115系を置き換えたり、そもそも115系を置き換えるための「E129系」が新製されることが決まったり、
E127系が北陸新幹線の金沢開業に伴う新潟県内の信越本線・北陸本線の経営を引き継ぐ「えちごトキめき鉄道」に譲渡されることが決まったり…
と言ったようになっているのです。
もっとも、私の地元である長野支社でも115系の211系への置き換えが漸次進められ、E351系を置き換えるための「E353系」の量産先行車の製造が発表されているのですが…

前回同様前置きが長くなりましたが、そのような訳で、8月29日(金曜日)に新潟駅まで行って来ました。
以下の写真は、特記の無い限り、その日に私が撮影したものです。

まずは実家最寄り駅から篠ノ井線の朝のライナー列車「おはようライナー」に乗車するために松本駅まで行きました。この日の「おはようライナー」は長野総合車両センター配置の183・189系のうち「あさま色」のN103編成でした。この編成は両端の先頭車が485系から改造された車両で窓の位置が183・189系と違う、と言う特徴を持っています。気になる方は是非調べてみてください。

長野からは普通列車「妙高1号」で直江津へ行きました。かつて「妙高」は上野~直江津間を信越本線経由で結ぶ急行列車の名称として使われていた名前ですが、現在は信越本線長野~直江津間の普通列車のうち、先ほどの長野総合車両センター配置の183・189系を使用する列車の中で、更に指定席車が設定されている列車に対して付けられています。北陸新幹線の金沢開業の際には廃止されることが決まっています。
この日の「妙高1号」は「あさま色」のN102編成でした。この編成は先頭車も始めから189系だった編成で、窓の位置はしっかり揃っています。
直江津に着くと車内で新潟の地酒を呑むと言う事をコンセプトにしたキハ48形のジョイフルトレイン「越乃Shu*Kura」を使った臨時快速「ゆざわShu*Kura」や、北陸本線の413系、そして長野へ第2の職場を求めに行く211系(ロングシートの2000番台)…等々色々な物が見れました。

この日のN102編成の様子。隣は第2の職場に向かう211系。

臨時快速「ゆざわShu*Kura」の様子。
 
直江津に到着後一旦引き上げる413系(金沢総合車両所B02編成)。
来年以降413系は富山県の「あいの風とやま鉄道」に一部が譲渡されると言うが、この編成は譲渡されるのか、
そもそも直江津で413系は見ることが出来るのか…?

直江津からは快速「くびき野3号」で新潟を目指しました。この「くびき野」も北陸新幹線の金沢開業の際には廃止されることが決まっています。
さて、この日の「くびき野3号」は新潟車両センター配置の485系1000・1500番台のT18編成でした。
 
唯一原形のまま残るクハ481形1500番台、国鉄色…と注目を浴び続けている新潟車両センターT18編成の様子。
485系1500番台は元々は函館本線の特急「いしかり」(現在の「スーパーカムイ」の元)に使用するために登場した。
しかし北海道の厳しい気候に合わず、十分活躍できないまま本州に戻ってきたと言う経歴を持つ485系の異端児である。
以上4枚すべて直江津駅にて

新潟駅に着いてからは駅ビルをウロウロ。数か所に分散していたので少し迷ってしまいました。
お昼を食べた後はひたすら新潟駅で撮影していました。新潟地区に4編成居る営業用の湘南色に塗られた115系のうち3編成を数時間のうちに見れたのには驚きました。
 
 115系の0・1000・2000番台からなる4両編成のL6編成。
 
全車が1000番台の4両編成のL9編成。
の他、全車が1000番台の3両編成のN23編成も見ることが出来た。
以上2枚すべて新潟駅にて

私にとっては懐かしい、去年から今年にかけて長野からやって来た115系にも、全6編成中3本出会えました。懐かしい、と言うのは、具体的に、「高校時代通学するときにしょっちゅうこれを見かけた」と言う感じです。
 
長野時代は「N27」を名乗っていたN33編成。
 
長野時代は「N6」を名乗っていたN35編成。その他、長野時代は「N11」を名乗っていたN36編成も見ることが出来た。
以上2枚すべて新潟駅にて

その他にも色々と見てまいりました。

弥彦線用にワンマン改造を受けた編成は2両編成が3本在籍する。
いずれも塗色が独自のものになっていて、大分歳を召しているようだ
 
えちごトキめき鉄道に譲渡される新潟地区のE127系0番台は、朝夕は最長6連で活躍。
 
個人的には新潟駅の面白いところの1つは国鉄型・JR型問わず気動車列車がやって来る事ではないかと思う。
これは夕方の新潟止まりの列車であるが、折り返し磐越西線直通の馬下(まおろし)行きになった。キハ47形の3両編成で、塗色も統一されている。
以上3枚すべて新潟駅にて

ここで私は家族向けの土産を買って、帰ることにしました。新潟駅からは快速「くびき野4号」で直江津駅を目指します。
この日の「くびき野4号」は新潟車両センター配置の485系300・1000番台のK1編成でした。この日は新潟で何かと国鉄色編成に遭遇する事の多い1日でした。
K1編成は今年のゴールデンウィークまで運転されていた快速「ムーンライトえちご」に主に使用されていた編成の1つである。
新潟駅にて

直江津に着いてからは信越線の長野方面に向かう訳ですが、「くびき野4号」到着から長野行きの発車まで1時間待ちとなりました。
その1時間の間にも色々見ることが出来ました。

 新潟配置の115系3両編成のN26編成が居た。
一見普通の115系に見えるが、写真手前の先頭車が結構な曲者である。
 
N26編成のクハ115-1601は、中間車のサハ115-1009を先頭車改造したもの。ただ1両のみの存在である。
以上2枚すべて直江津駅にて

この日は、今考えてみると、「はくたか」を全く撮らなかったのが心残りでした。ただ、私は北陸に向かう夏合宿に参加する予定ですので、そこでしっかりやっておこうと思います。
直江津からは長野配置の115系に揺られ、長野からは211系に揺られ、という形で徐々に現実に引き戻される形で実家最寄駅に着きました。

「会長の近況」第2弾、いかがでしたでしょうか?
この企画、おそらくもう1回あると思われますので、何卒よろしくお願い致します。

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2014年9月8日月曜日

2014年度夏の会誌「たぶれっと」No.94を公開しました!

こんにちは、専修大学鉄道研究会です。

6月末に開催されました学園祭「黒門祭」と、8月に開催されました「てっけん駿河台サミット2014」にて頒布しました会誌「たぶれっと」No.94をWeb上で公開しました!
サークル概要・合宿報告記・新入生歓迎活動などを収録しておりますので、過去の会誌を読まれたことがある方はもちろん、まだ専修大学鉄道研究会について知らない方、入部しようか迷っている方にも是非読んでいただきたい一冊になっております。
なお、Webでの公開にあたり、頒布した冊子と一部内容が異なっております。ご了承くださいませ。

たぶれっとNo.94は以下のアドレスに公開しております。
https://onedrive.live.com/?cid=434FA1774C38C798&id=434FA1774C38C798%21317 ]

また、2012年度・2013年度版の会誌「たぶれっと」No.92.93も以下のアドレスで公開しておりますので是非ご覧ください。
https://onedrive.live.com/?cid=434FA1774C38C798&id=434FA1774C38C798%21105 ]

なお、いずれのファイルもPDFファイルとなっており、閲覧にはAdobe Reader(無料)が必要になります。
Adobe Readerは[ http://get.adobe.com/jp/reader/ ]よりダウンロードできます。
お手持ちのパソコンなどにAdobe Readerが入っていない場合にはダウンロードしてからご覧いただきますよう、よろしくお願い致します。

それでは会誌「たぶれっと」No.94をどうぞお楽しみください。 

JR東海のキハ40系列は、画像のように国鉄時代には存在しなかった国鉄一般色風塗装の車両も存在。
キハ25の増備や武豊線電化で余剰となったキハ25・キハ75に置き換わられ、2015年度頃までに引退する予定。
(2014年8月27日 高山本線高山駅)
 
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